店長のブルーなブログ

ZEN
2010年12月10日
よく神社に参拝するのは、思い出す
ためです・・・・・・そう、何度も・・・・・。
現実の社会生活では、経済・教育・文化や
権利・義務・・・などなど、いろんな枠の中で
暮らしていかなければなりません。
神社とか自然林の中では、そういった
社会生活の鎧を脱いで安心できる
チャンスだと思うんです。
賽銭をして、願いを叶えてくれるよう
真剣に訴えてる人々を見たり、山に
入っても、何かもらって帰ろうとか、
何か得するものがないか探してる
ようなグループを見るにつけ・・・・
・・・普通は、こうなるよなぁ~っと。
・・・店長も野鳥の声を聞くと、どこや?
どこにおるんや?っと、しょっちゅう、きょろ
きょろしているので、周りの人から、怪しい
やっちゃなぁ~っと思われてるやろなぁ。
・・・あのね・・・やっぱり・・・人は一人です。
よっぽど波長が合う人じゃないと、センサーが
感知しない思うんです、そういうところへ複数で
訪れても・・・・・世間の鎧を下ろすのは、なかなか
難しい、無防備になるんですから、よほど安心できる
場じゃないと。
・・・初詣みたいな人ごみの場合は、同じ神社であっても
まったくそういった落ちついた感じになりません。
・・・人ごみには近づかない方がいいんです、ある意味では。
・・・そう、ある意味では、孤独という状態は、人とは?・・・・
に気付く唯一のチャンス期間なのかもしれません。
・・・でも、常識では 『孤独はだめですよ、人は一人では
生きられない生き物なのですよ』 ・・・という
『十牛図』ってご存知ですか?昔の中国の禅の書ですが、
一人で自分探しの旅に出て、見つけて、手なづけて、一つに
成って、一人も自分も忘れて、空になって、そして・・・・
人里に下りて無邪気に皆と暮らすんです。
・・・いきなり、『人は一人では生きられない』 と言うべからず・・・です。
店長は徴兵制のように、半強制的に社会から断絶させ、孤独を
体験する制度があればいいんじゃないかと妄想します・・・が。
ためです・・・・・・そう、何度も・・・・・。
現実の社会生活では、経済・教育・文化や
権利・義務・・・などなど、いろんな枠の中で
暮らしていかなければなりません。
神社とか自然林の中では、そういった
社会生活の鎧を脱いで安心できる
チャンスだと思うんです。
賽銭をして、願いを叶えてくれるよう
真剣に訴えてる人々を見たり、山に
入っても、何かもらって帰ろうとか、
何か得するものがないか探してる
ようなグループを見るにつけ・・・・
・・・普通は、こうなるよなぁ~っと。
・・・店長も野鳥の声を聞くと、どこや?
どこにおるんや?っと、しょっちゅう、きょろ
きょろしているので、周りの人から、怪しい
やっちゃなぁ~っと思われてるやろなぁ。
・・・あのね・・・やっぱり・・・人は一人です。
よっぽど波長が合う人じゃないと、センサーが
感知しない思うんです、そういうところへ複数で
訪れても・・・・・世間の鎧を下ろすのは、なかなか
難しい、無防備になるんですから、よほど安心できる
場じゃないと。
・・・初詣みたいな人ごみの場合は、同じ神社であっても
まったくそういった落ちついた感じになりません。
・・・人ごみには近づかない方がいいんです、ある意味では。
・・・そう、ある意味では、孤独という状態は、人とは?・・・・
に気付く唯一のチャンス期間なのかもしれません。
・・・でも、常識では 『孤独はだめですよ、人は一人では
生きられない生き物なのですよ』 ・・・という
『十牛図』ってご存知ですか?昔の中国の禅の書ですが、
一人で自分探しの旅に出て、見つけて、手なづけて、一つに
成って、一人も自分も忘れて、空になって、そして・・・・
人里に下りて無邪気に皆と暮らすんです。
・・・いきなり、『人は一人では生きられない』 と言うべからず・・・です。
店長は徴兵制のように、半強制的に社会から断絶させ、孤独を
体験する制度があればいいんじゃないかと妄想します・・・が。