店長のブルーなブログ
心というスクリーン
2010年12月12日
人は目に見えないものには、無関心な場合がほとんどですが、
怒り・嫉妬・敵意・不満・諦め・ets 意識せずとも心にわきあがる
不愉快な経験を、何故か気にして何度も思い出しては、再確認
しながら自我に焼きつけてしまいます。
危険を察知して、自我を守るための本能なのでしょうか?
嫌なことが起こらないように、嫌なことをこれ以上受け止めない
ように、忘れないように何度も思い出すのでしょうか。
しかし、無意識にしろ、意識的に考察するにしろ、心配事を心に
映し出して、起こってしまうんじゃないかな~と思っていると、
いずれそれは現実に起こってしまう・・・ように思いませんか?
占い師さんは、ちょっとずるいんじゃないの・・・っと、気の毒な引合い。
起こって欲しくないことを、言わなくてもいいのに、心に植えつけて
・・・そして実現させてしまうぅ・・・みたいなことがあるんじゃないの。
・・・まあその反対に、良いことも起こすのかなぁ
自我を守るという本能には当てはまらないので、良い事を期待する
心はだんだん希薄になり、そのため実現しにくいんじゃないのかなぁ。
・・・んっ?自我は己を守るために不愉快な気持ちを充満させる・・・?
・・・穏やかな幸せな意識で満たして・・・想像してみてください・・・
・・・幸せな経験の優しい気持ちを思い起こすのは難しいでしょ・・・
・・・穏やかいっぱいの時は、かたくなな、こだわりは、必要ないですよね
・・・自分の周りが、安らかで柔らかいもの
・・・でも、これは自我にとっては、存亡の危機です!
・・・頑張れ・・・負けるな・・・戦え・・・怒れ・・・罵れ・・・倒せ・・・
・・・エイ!エイ!OH-!! っとやって来ます。
・・・店長のスタンスは、『人は未来を引き寄せる』 ではなく
『この世は安心の予定通り、これでいいのだ』
なので、全ての占い師さんを、許します・・・今だけですよっ、
昔から『君子豹変す』といいますから、凡子も変化するかも。
しかし過去にも未来にも一度も占い師さんに会っていない
だろう他人事の店長です。
・・・そして今日も、「全ては予定通り、 ALL OK!!」・・・と
頑張って叫ぶのでした。
怒り・嫉妬・敵意・不満・諦め・ets 意識せずとも心にわきあがる
不愉快な経験を、何故か気にして何度も思い出しては、再確認
しながら自我に焼きつけてしまいます。
危険を察知して、自我を守るための本能なのでしょうか?
嫌なことが起こらないように、嫌なことをこれ以上受け止めない
ように、忘れないように何度も思い出すのでしょうか。
しかし、無意識にしろ、意識的に考察するにしろ、心配事を心に
映し出して、起こってしまうんじゃないかな~と思っていると、
いずれそれは現実に起こってしまう・・・ように思いませんか?
占い師さんは、ちょっとずるいんじゃないの・・・っと、気の毒な引合い。
起こって欲しくないことを、言わなくてもいいのに、心に植えつけて
・・・そして実現させてしまうぅ・・・みたいなことがあるんじゃないの。
・・・まあその反対に、良いことも起こすのかなぁ
自我を守るという本能には当てはまらないので、良い事を期待する
心はだんだん希薄になり、そのため実現しにくいんじゃないのかなぁ。
・・・んっ?自我は己を守るために不愉快な気持ちを充満させる・・・?
・・・穏やかな幸せな意識で満たして・・・想像してみてください・・・
・・・幸せな経験の優しい気持ちを思い起こすのは難しいでしょ・・・
・・・穏やかいっぱいの時は、かたくなな、こだわりは、必要ないですよね
・・・自分の周りが、安らかで柔らかいもの
・・・でも、これは自我にとっては、存亡の危機です!
・・・頑張れ・・・負けるな・・・戦え・・・怒れ・・・罵れ・・・倒せ・・・
・・・エイ!エイ!OH-!! っとやって来ます。
・・・店長のスタンスは、『人は未来を引き寄せる』 ではなく
『この世は安心の予定通り、これでいいのだ』
なので、全ての占い師さんを、許します・・・今だけですよっ、
昔から『君子豹変す』といいますから、凡子も変化するかも。
しかし過去にも未来にも一度も占い師さんに会っていない
だろう他人事の店長です。
・・・そして今日も、「全ては予定通り、 ALL OK!!」・・・と
頑張って叫ぶのでした。